~第4回~ 死後の世界を著した様々な書物
~第4回~ 死後の世界を著した様々な書物 著 者: 小林正希(COREZON)
『丹波哲郎の死者の書』(中央アート出版社)が大ベストセラーになり『大霊界』が社会現象になったのが、今から20年程前のことです。
映画や出版物は空前の売り上げがあったようです。人間の死に対して真っ正面から取り上げた作品がなかったため、珍しさもあったのでしょうか? 当時は丹波哲郎をテレビや雑誌、新聞で見ない日はありませんでした。
しかし、今では、『大霊界』といっても知らない方も増えてきてしまいました。なんとも淋しいものです。
さて、世界にはいろんな死者の書と呼ばれているものがあります。有名なところではチベットやエジプトの死者の書があります。今回は、その死者の書とは一体どんなものなのかを御紹介しましょう。
●チベットの死者の書
死後49日間の「魂の旅」を解き明かし、対処すべき「死の技術」を説く、恐るべき教典が、まずご紹介する『チベットの死者の書』です。誰が考えたのか、誰が書いたのか、読む度につくづく恐るべき書物なんです。世界的な心理学者C・G・ユングも、この教典を「私の変わらぬ手引き書」であり、自分の「理念」の形式や、さまざまな「発見」の上で多大な触発を得たし「根本的洞察力」の源となった、とまで絶賛しているのです。
この書は、もともと『バルド・ソドル』教典といわれ、有史以前何世紀にもわたるチベットの賢人達の教えをまとめた「密教聖典」です。有史時代の初めまでは口伝によるものでした。
それが紀元8世紀の頃になってようやく「書」としての体裁が整えられることになったそうです。しかし、以後千数百年もの間、秘境チベットに奥深く閉ざされ、門外不出の「秘伝」「聖典」として外部に知られることはありませんでした。
この書が初めてチベットから持ち出され、やがて一躍世界中にその存在が知られるようになったのは、20世紀末のことでした。チベット仏教(ラマ教)研究の先駆者として高名なオックスフォード大学宗教学教授W・Y・イヴァンス・ウェンズ博士とチベット語学の権威ラーマ・カジ・ダワ・サムダップの両氏が最初の紹介者なんです。
1927年、2人は『バルド・ソドル』の訳本に『チベットの死者の書(THE TIBETAN BOOK OF THE DEAD)』と名付けて出版。さらに昭和49年(1974)おおえまさのり氏によって邦訳出版されたことで、日本でもこの書が一般に知られるようになったわけです。
この書は、単なる「死者儀礼」の内容ではなく、人類にとって普遍的なテーマである「死んだらどうなるか」の答を提示しているのです。そして、宗教的幻想や哲学的妄想の産物なのではなく、死や死後世界の実相を、チベットの幾多の賢人たちが、経験的・実証的に認識して伝えたとしか思えぬほど、克明かつ科学的に述べられているのです。
その意味で、死ぬ前に知っておいたほうがいいこと、有利なこと、避けるべきこと、などを科学する眼でとらえた「死の技術の実用書」、言い換えれば「安全にあの世に着くためのハンドブック」ともいえます。
もっと具体的にいえば、この教典には臨終(死の瞬間)から死後の世界、そして再生の過程へたどるといわれる49日間における死者への導き──つまり、死後に霊魂がたどるべきさまざまな状態が、49日間にわたって段階的に解き明かされるのと同時に、各段階での対処法が詳細に説かれているのです。
また、死の初期段階の記述だけを見ても前回御紹介した『ムーディー博士』らの研究報告(臨死体験者の共通体験)と恐ろしいほど酷似した部分が多いことに気付かされます。
●エジプトの死者の書
皆さんは既にご存知のことと思いますが、ピラミッドに眠る王のミイラに象徴されるように、古代エジプトでは死者は蘇ると考えられていました。その古代エジプト人たちが死に対してどのように考えていたのでしょうか。
太古の昔、古代エジプト人は、もしかしたら私達より進歩した考え方をしていたかもしれません。前記した「チベットの死者の書」との共通点、エマニュエル・スウェーデンボルグの『霊界著述』(18世紀に書かれ、十余冊にも及ぶ膨大な「霊界探訪日記」、原稿は大英博物館に保存されている)との共通点も発見できることでしょう。
『エジプトの死者の書』は、世界中に幾つかある「死者の書」の最古典のため、一般に広く知られている。この書の原型が最初に発見されたのは、実に今から六千年以上前の紀元前4300年頃です。当時エジプトを治めていたヘセプーチ王の時代に、棺上の絵文字として描かれているのが発見されたのが、最初とされています。
それ以後も多くの墓石や石棺に絵文字で描かれたものが発見され、古代の学者たちの手によって収集、解読され、いくつかの書物としてまとめられています。
『テーベ原本』『サイテ原本』『パピルス文書』などがそれです。
「死者の書」という呼称を与えたのは、1842年にドイツのエジプト学者レプシウスが『ツリン・パピルス』として知られるものを刊行したときに用いてから一般化したといわれています。
『エジプトの死者の書』の原典のひとつであるこれらの文書は、その名の通り、パピルス(ナイル河畔に生える一種の草を原料にして作った紙のようなもの)が用いられています。古代エジプト人が墓の中に残したものが発見されたわけで、きわめて乾燥したエジプトの風土に守られて、数千年間も保存できたもののようです。
当然、残された「パピルス文書」の数は余り多くはありません。前記の『ツリン・パピルス』も代表的なものですが、最も有名なのは現在大英博物館に納められている『アニのパピルス』でしょう。主人公であり、筆者でもあるアニはテーベ神殿の書記だったといわれています。
これらの各種の原本や文献をもとに、数多くの『エジプトの死者の書』が刊行されてきましたが、現在、最も評価が高いのは大英博物館のエジプト学部長ウォリス・バッジ博士のまとめた本でしょう。
英語版「The Book of the Dead(死者の書)」の書名で1901年に刊行されたものですが、古代学者による解読絵文字を解読し直したり、19世紀になって発掘されたエジプト遺跡の新しい資料が取り入れられたといいます。
この本は、昭和57年に今村光一氏によって翻訳され、抄訳書として出版されていますので、ご興味のある方はお読み下さい。
その他、世界各国にはいろんな死者の書があることでしょう。皆さんの中にも情報などありましたら是非下記のサイトからご連絡下さい。
来世研究会事務局長 小林正希
丹波哲郎の霊界サロン http://www.tamba.ne.jp
㈲COREZON(コアゾン) http://corezon.jp
アーティクルリソース:http://www.viralarticle.com/
『丹波哲郎の死者の書』(中央アート出版社)が大ベストセラーになり『大霊界』が社会現象になったのが、今から20年程前のことです。
映画や出版物は空前の売り上げがあったようです。人間の死に対して真っ正面から取り上げた作品がなかったため、珍しさもあったのでしょうか? 当時は丹波哲郎をテレビや雑誌、新聞で見ない日はありませんでした。
しかし、今では、『大霊界』といっても知らない方も増えてきてしまいました。なんとも淋しいものです。
さて、世界にはいろんな死者の書と呼ばれているものがあります。有名なところではチベットやエジプトの死者の書があります。今回は、その死者の書とは一体どんなものなのかを御紹介しましょう。
●チベットの死者の書
死後49日間の「魂の旅」を解き明かし、対処すべき「死の技術」を説く、恐るべき教典が、まずご紹介する『チベットの死者の書』です。誰が考えたのか、誰が書いたのか、読む度につくづく恐るべき書物なんです。世界的な心理学者C・G・ユングも、この教典を「私の変わらぬ手引き書」であり、自分の「理念」の形式や、さまざまな「発見」の上で多大な触発を得たし「根本的洞察力」の源となった、とまで絶賛しているのです。
この書は、もともと『バルド・ソドル』教典といわれ、有史以前何世紀にもわたるチベットの賢人達の教えをまとめた「密教聖典」です。有史時代の初めまでは口伝によるものでした。
それが紀元8世紀の頃になってようやく「書」としての体裁が整えられることになったそうです。しかし、以後千数百年もの間、秘境チベットに奥深く閉ざされ、門外不出の「秘伝」「聖典」として外部に知られることはありませんでした。
この書が初めてチベットから持ち出され、やがて一躍世界中にその存在が知られるようになったのは、20世紀末のことでした。チベット仏教(ラマ教)研究の先駆者として高名なオックスフォード大学宗教学教授W・Y・イヴァンス・ウェンズ博士とチベット語学の権威ラーマ・カジ・ダワ・サムダップの両氏が最初の紹介者なんです。
1927年、2人は『バルド・ソドル』の訳本に『チベットの死者の書(THE TIBETAN BOOK OF THE DEAD)』と名付けて出版。さらに昭和49年(1974)おおえまさのり氏によって邦訳出版されたことで、日本でもこの書が一般に知られるようになったわけです。
この書は、単なる「死者儀礼」の内容ではなく、人類にとって普遍的なテーマである「死んだらどうなるか」の答を提示しているのです。そして、宗教的幻想や哲学的妄想の産物なのではなく、死や死後世界の実相を、チベットの幾多の賢人たちが、経験的・実証的に認識して伝えたとしか思えぬほど、克明かつ科学的に述べられているのです。
その意味で、死ぬ前に知っておいたほうがいいこと、有利なこと、避けるべきこと、などを科学する眼でとらえた「死の技術の実用書」、言い換えれば「安全にあの世に着くためのハンドブック」ともいえます。
もっと具体的にいえば、この教典には臨終(死の瞬間)から死後の世界、そして再生の過程へたどるといわれる49日間における死者への導き──つまり、死後に霊魂がたどるべきさまざまな状態が、49日間にわたって段階的に解き明かされるのと同時に、各段階での対処法が詳細に説かれているのです。
また、死の初期段階の記述だけを見ても前回御紹介した『ムーディー博士』らの研究報告(臨死体験者の共通体験)と恐ろしいほど酷似した部分が多いことに気付かされます。
●エジプトの死者の書
皆さんは既にご存知のことと思いますが、ピラミッドに眠る王のミイラに象徴されるように、古代エジプトでは死者は蘇ると考えられていました。その古代エジプト人たちが死に対してどのように考えていたのでしょうか。
太古の昔、古代エジプト人は、もしかしたら私達より進歩した考え方をしていたかもしれません。前記した「チベットの死者の書」との共通点、エマニュエル・スウェーデンボルグの『霊界著述』(18世紀に書かれ、十余冊にも及ぶ膨大な「霊界探訪日記」、原稿は大英博物館に保存されている)との共通点も発見できることでしょう。
『エジプトの死者の書』は、世界中に幾つかある「死者の書」の最古典のため、一般に広く知られている。この書の原型が最初に発見されたのは、実に今から六千年以上前の紀元前4300年頃です。当時エジプトを治めていたヘセプーチ王の時代に、棺上の絵文字として描かれているのが発見されたのが、最初とされています。
それ以後も多くの墓石や石棺に絵文字で描かれたものが発見され、古代の学者たちの手によって収集、解読され、いくつかの書物としてまとめられています。
『テーベ原本』『サイテ原本』『パピルス文書』などがそれです。
「死者の書」という呼称を与えたのは、1842年にドイツのエジプト学者レプシウスが『ツリン・パピルス』として知られるものを刊行したときに用いてから一般化したといわれています。
『エジプトの死者の書』の原典のひとつであるこれらの文書は、その名の通り、パピルス(ナイル河畔に生える一種の草を原料にして作った紙のようなもの)が用いられています。古代エジプト人が墓の中に残したものが発見されたわけで、きわめて乾燥したエジプトの風土に守られて、数千年間も保存できたもののようです。
当然、残された「パピルス文書」の数は余り多くはありません。前記の『ツリン・パピルス』も代表的なものですが、最も有名なのは現在大英博物館に納められている『アニのパピルス』でしょう。主人公であり、筆者でもあるアニはテーベ神殿の書記だったといわれています。
これらの各種の原本や文献をもとに、数多くの『エジプトの死者の書』が刊行されてきましたが、現在、最も評価が高いのは大英博物館のエジプト学部長ウォリス・バッジ博士のまとめた本でしょう。
英語版「The Book of the Dead(死者の書)」の書名で1901年に刊行されたものですが、古代学者による解読絵文字を解読し直したり、19世紀になって発掘されたエジプト遺跡の新しい資料が取り入れられたといいます。
この本は、昭和57年に今村光一氏によって翻訳され、抄訳書として出版されていますので、ご興味のある方はお読み下さい。
その他、世界各国にはいろんな死者の書があることでしょう。皆さんの中にも情報などありましたら是非下記のサイトからご連絡下さい。
来世研究会事務局長 小林正希
丹波哲郎の霊界サロン http://www.tamba.ne.jp
㈲COREZON(コアゾン) http://corezon.jp
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